七回の受験でついに手にした合格証書

負けないパパ さん(30代男性 会社員 2018年度合格 受験回数7回)

毎年秋になると試験を受け、冬の始まりになると「今年もダメだったかぁ」、落胆する。辛い。惨めだ。

しかし2018年12月7日合格発表当日、ついに私は合格証書を手にし、ようやく長い受験生活から解放されたのです。

試験後の自己採点では通関実務が24点だったため、得点割合は53.333…%。合格とされる60%には遠く及ばず絶望していました。その後の予備校解説では、今年は難関であり55%まで引き下げられるかもしれないとのことでした。それでも53.333…%以下はないだろなと諦めムードでした。

会社の先輩や同僚にはもうとっくの昔に先を越され、後輩に混じっての受験。最近は『まだ取ってなかったの』と自分が受験していることすら忘れ去られる始末でした。

それがなんと今年は50%に(^^)諦めムードが一転して祝福ムードへ

やっと終わりました。喜びというよりかは安堵の気持ちです。もう受けなくていいんだ、もう惨めな冬を迎えなくていいんだ。

7回も受験した人が私の他にいるか否かは知りませんけれども、何度も悔しい結果になった方は、私のような例もあるので諦めないでください。

◇一回目~三回目◆

会社で通関士養成講座に通わされており、補助が出たので(合格すれば全額、不合格でも半額)、毎年通っておりました。正直な話ここが私にとっての大きな分かれ道であり間違いでした。先生のせいにするのは情けないと思われるかもしれませんが、話もテキストも分かりにくく、質問しても的はずれなことを答えてくることが多々ありました。この講座で合格した同僚も何人かいるので私の不勉強のせいもあるのでしょうが、その人達も私と同じことを口走っていたのであながち私の意見ははずれてないと思います。補助がでなくても他のスクールに通って合格した同僚・先輩もたくさんいたので、私もケチらずにそうすればよかったと思います。

この三年間は受験しても合格点に全然遠いところにあり、無駄以外の何者でもないです。そのことに気づかなかった私もバカでした。ここで私のやる気は完全に削がれていました。

◇四回目◆

通勤途中の駅から少し歩いたところに位置する大学に、毎週土曜日、通関士講座が開催されることを知りました。LECが協力して開催する講座で、先生が派遣されてくるものです。会社の養成講座でスクールへの不信感はありましたが、LECなら大手だし信頼できるかと申し込みました。これはすごく私に合っていて、話もテキストも分かりやすかったです。最初からこっちにしてればよかったじゃん、と会社の養成講座の先生への怒りと、自分に合った講座に出逢えたことで新しい先生への感謝が芽生えました。そこからは順調に勉強できており、夏に受けた模試も合格圏内までいったのですが、八月の終わり頃、同じ部署の人間が突如二人も退職したので、そこから仕事がてんやわんやになり、勉強時間がとれなくなりました。

そして本番、たぶんあと二点だけ取れていれば合格できたのに、結果は不合格。この年の落ち込みようは半端ではありませんでした。もう会社もやめてやろうかと朝から晩までずっと考えていました。唯一の救いは、会社が大幅に冬のボーナスアップをしてくれたことでした。ボーナスアップがなかったら年明けにはやめていたとおもいます。それくらい全てに絶望していました。

◇五回目~六回目◆

四回目の受験で絶望した私は完全に打ちひしがれていて、五回目と六回目は惰性で受けていたように思えます。勉強開始した時期も夏が始まるあたりでしたので、時間がなく点数も伸びず不合格でした。

どうせだめだからとスクールも行かず、勉強しないといけないはずの時間のほとんどを映画やネットに使っていました。休日も家族と楽しく過ごすことだけを考えていました。何を勉強したかわからないくらい勉強していませんでした。

◇七回目◆

六回目の不合格を経験した年、私と同じように毎年受けていた、私の一つ下の後輩が合格してしまいました。とうとう最後の戦友も卒業していったということで、祝福の気持ちもあったはあったのですが、やはり自分だけ取り残されたという寂しさや惨めさが勝るというところが本心でした。長く苦労してきた彼のために、部署全体で祝賀会が開催されたのですが、私は家族の予定があるからと言って参加しませんでした。家族の予定があったのは事実だったのですが、祝賀会にわざと被せて作った予定です。おそらく部署のメンバーも気づいていたかもしれませんね。そっとしておいてもらえました。

その後悶々としたまま年明けを迎え、小学校に入ったばかりの息子と二人で初詣に出かけました。そこで絵馬を二人で購入しまして、息子は覚えたての平仮名で健気に『じてんしゃにのりたい』と書いておりました。息子はなかなか自転車に乗ることが出来ず、友達が乗れるようになる中、息子だけが補助輪ありで乗ってました。その息子の姿が、一人ぽつねんと取り残された私の姿と重なって、同じような状況にいる息子が負けずに挑戦しようとしているんだから、私も負けられないと再び情熱の炎が燃え上がったのです!私は絵馬に「通関士試験合格」と書き込み、息子の絵馬と一緒に神社にかけたのです。

合格するためには独学も頭によぎりましたが、四回目の試験で利用した大学の講座が自分にぴったり合っていたし、現実としてその年は惜しいところまでいったので、同じ講座を再び取ることにしました。2018年の夏はとてつもない猛暑で、夏も長く、仕事とスクールの両立は大変でした。それでも毎日、負けないぞとテキストを開き奮闘して参りました。夏に受けた関税協会の模試では申告書で大きく外してしまいましたが、それ以外は高得点を出せました。

そして本番。今年は申告書と計算問題の他は鬼のように難しくて、会場で頭が真っ白になってしまい、普段考えられない凡ミスをしてしまいました。自己採点だと通関実務が24点しかなかったので、発表当日までほとんど諦めていたのですが、なんと合格したのです。合格発表日は飲み会の予定があったのですが、発表当日に届けられる合格証書を早く自分の目で確かめたくて、事情を伝えてキャンセルさせてもらいました。仕事を終えて家に帰ると、妻と息子が『おめでとう!!』と出迎えてくれて私の合格証書を差し出してくれました。「ありがとう!!」と受け取った私は、もっと感動で震えるかとの予想に反し、全ての力が全身から抜けていくのを感じとりました。もはや感動できることを通り越すくらい苦労してきたからだと思います。合格証書を確認して真っ先に脳裏に浮かんだのは「風呂にゆっくり浸かりたい」でした。その日の風呂は人生で一番リラックスした瞬間でした。

こうして私の長い受験生活はハッピーエンドで(?)終えることができました。

◇最後に受験をお考えの皆さんへ◆

七回もかかった私が言うのも変な話ですが、通関士試験って鬼のように難しい試験じゃないと思うんですよね。鬼のように難しい問題も混じってますけれども、合格した年の私のように、そういう問題は出来なくても合格できるんです。他の人も出来ないから、今年2018年のように合格点が下げられるからです。今年だけじゃなくて、過去にも合格点が下げられてることはよくありました。

だけれども私のような凡人が合格するには、集中して勉強することは絶対条件かと思われます。振り返ってみると、しっかり集中して勉強できた四回目は合格寸前までいってるし、七回目は合格できました。昼休みや朝の通勤時間を使って品目を覚えたり、夜は会社帰りに自習室に寄って自分に課したノルマが終わるまで帰宅しないというような勉強漬けの生活で辛かったですが、努力は裏切らないです。

それからいい大人がこんなこと他人のせいにするのはどうかとも思いますが、変な講座なら受けない方がマシです。一回目~三回目はそれが大きな間違いでした。おかしいと感じたらすぐ方向転換した方がいいと思われます。

最後に、長年不合格の辛さは私も身に染みて分かっていますが、受かれば全部嘘のように気分が晴れてきます。空がほんとに青く見えます。だらけて何年も受けるよりは、短期集中した方が可能性はあると思います。

私を反面教師として、皆さんは短期で合格されることを願っています。