受験と素質 その1

こんばんは。

受験の実力は、「素質×勉強方法×勉強時間」で決まるというお話を以前しましたよね。
そこで、今回は素質の部分についてのお話をしようと思います。

何をするにしても、素質というのは結果に作用します。
では、通関士試験の勉強における素質ってなんだろう?自分は他の受験生とくらべてどうなんだろう?
気になりますよね。

素質は変えられない以上、受けることを決めている人は考えても考えなくても同じです。
一方、これから受けようかどうか迷っている人は一考の価値はあるとおもいます。通関士試験はかなりの時間と労力をつぎ込むことになるのが普通だし、予備校や通信教育を利用するのであればお金だって結構かかります。結果的にだめだったとしても、これらは返ってきません。だとしたら、勉強したとして、自分ははたして受かるのかという可能性を考慮要素に入れて受験をきめても良いと思います。

まず、通関士試験における素質の要素として、一番大きなウェイトを占めると私が考えているのは、努力です。これは、誘惑を振り切ってこつこつ勉強を積み重ねられるかということです。
勉強って大抵の人にとっては退屈だし、ましてや通関士試験のように勉強時間の多くを法律が多く占める試験であれば、難解な法律の条文や解説を頭に入れるのはイヤになってしまうのも無理はありません。
また、そんなときに友達からの誘いや、趣味への誘惑があったりすれば、勉強を放り出してそっちの方へ行ってしまいたくなるのは当然です。
しかし、ここで流されずに勉強に集中できるかで、合否は大きく左右されます。
これを一番大きな要素だと私が考えるのは、通関士試験は、特別な才能がいらないからです。天才的なひらめきも必要なければ、どう説明しても理解ができないような理論がでてくるわけでもなく、また、普通の人では覚えきれないような量を暗記するわけでもありません。
たしかに、法律になじみがなくあまり勉強が得意でもない人であれば、最初は無理だとおもってしまうかもしれませんが、方法を間違えずにこつこつやれば半年くらいで一通りの範囲はおおむね理解できるくらいのものです。
なので、とてつもない量の努力がいるから努力のウェイトが大きいということではなく、元々の理解力や記憶力がそんなになくても大きくは影響しないから、相対的に努力のウェイトが多いということです。
もちろん、元々勉強がすごくできるだとか法律に詳しいとかの事情があればあまり勉強しなくても受かるかとは思いますが、この試験を受ける人でそういう人はそんなにはいないはずなので(そんな人が多数派なら絶対にもっと合格点は高いはずです)、自分はそうでなくとも気にすることはありません。

この点につき、努力を才能と分けて考える人もいますが、私はそうは思っていません。努力をしてないだけで、その気になればいつでもなんとかなると考えているのであれば、それは間違いです。努力ができない人は、その気になろうとしてもいつまでもその気になれないのです。できる人は、必要なときにその気になることができます。
そのため、今まで勉強しようしようと思いながらもまともにやりきったことがない、という人には合格はきついかもしれません。
もっとも、そう思っている人の多くは、単に勉強方法を間違っていてうまく結果に結びつかずにやる気や自信が失われていったため、努力ができなかったということじゃないかと私は思っています。なぜなら、勉強が苦手な人は大抵方法も間違っているからであり、人間はなかなか結果に結びつかないことを自主的に継続するのは難しいからです。なので、方法次第で頑張れるということは十分にあるのではないでしょうか。

その他には、理解力や記憶力、体力などが素質としてあげられると考えますが、確かにこれらはあればあるほど有利なものの、そんなに無くても結構なんとかなります。
ただし、仕事が激務すぎてほぼ毎日朝から夜遅くまで働いている方などは、相当体力がなければ集中できる勉強時間を確保するのはきついでしょう。

次回につづく
(灬ԾٮԾ灬)

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